テツオ さんの日記
2019
12月
8
(日)
13:14
本文
こちらのテーマ曲と連動しています。聞きながらお楽しみください。
http://gbuc.net/modules/myalbum/photo.php?lid=17260&cid=3
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あぶくのヒステ
悪い病が、人々を脅かしていた。
この地方の風土病で、感染すると記憶が失われる。いや、失われるようになる。ある一定の時間が経過するごとに、それまでの記憶が失われてしまうのだ。家族との思い出も、友人との約束も、恋人との情熱も。
強いて不幸中の幸いを見つけようというのなら、それは発症するまでの記憶は保たれる、ということにあったかもしれない。十歳で発症すれば、それまでの記憶は保たれる。成人してから発症しても、初老で発症しても、それは変わらない。
––––だからこそ、罹患者は不幸なのかもしれない。これまでの日常が、突然その歩みを止めるということの悲しみ。いや、患者本人のみではない。彼らの心はいつまでも往時のままなのに、周りの人々は日ごとに老い、成長しゆくからこそ、互いの隔たりがどこまでも広がっていくということの、苦しみ。
この呪わしき病は、誰をも不幸にした。
患者たちは働けない––––彼らに仕事を教えることは困難だから。しかし、国は彼らの人権保護を標榜し、必ず幾人かを雇うよう企業に義務づけた。働くことなんてできやしないのに? 誰もがそう思ったのは、当然のことだった。
患者たちは学べない––––彼らに勉強を教えることは困難だから。とくに、子供の場合は悲惨だった。義務教育とはいえ、たとえ授業を受けてもすぐに忘れてしまうのに、誰が真面目に教えるだろう? 放っておかれるのは、自然なことだった。
患者たちには居場所がない––––彼らを世話するのは困難だから。もしも、あなたの周りに彼らがいたらどうするだろう? きっとあなたは言うかもしれない、最後まで面倒をみるのだと。もちろん、誰もがそう言った。なのに––––。
次第に、皆が皆、患者達を忌み嫌うようになった。
何をやっても水の泡––––だから、彼らは「あぶく」と呼ばれるようになった。憐れみと、侮蔑と、ある種の憎しみを込めて。時期は定かではない。いつしか、どこからか。そして、誰からも。あまつさえ、彼ら自身によっても。
*
ある夫婦が、産まれたばかりの赤子をさも愛おしそうにあやしている。
そこに医者の姿はない。助産師もいない。あるのはがらんどうとした白い空間に、婦人の横たわるベッドが一つあるだけだ。そこに、夫と子。
「なあ……かわいいな」
「ええ……」
ささやきあう夫と妻。そこにうずもれる愛の結晶との間に、確かな幸福が満ち満ちているのを二人はひしと感じていた。
しかし––––。
「なあ……大丈夫かな」
「きっと……きっとよ」
一抹の不安がよぎるのもまた、認めた。
風土病は、残酷にも産まれてすぐの赤子に三つの運命を選ばせる。生か死か、はたまた「あぶく」か––––。
この地方に生を享けた赤子は、まず十中二、三が死ぬ。それも、わずか十分で死ぬ。遺伝子に原因でもあるというのだろうか、とにかく産まれて十分きっかりで、ぱたと斃れてしまう。かといって、生きながらえれば良いというものでもなかった。七人が生き残ったのなら、うち一人はその心臓の代わりに涙を止める。これもまた、産後十分のことだ。
赤子の泣き止んだ瞬間の静寂が、どれほどの夫婦を苛んできたことだろう。一つの命につき、一つの静寂が訪れるかもしれない。そんな一瞬が、いくつもあった。「あぶく」を告げるのは、紛れもなくこの不吉な静けさだった。
生か死か、はたまた「あぶく」か。だから、この十分間は「命の時間」と呼ばれ、古くから人々に畏れられてきた。赤子の己が命運を決する厳粛な瞬間として、夫婦が我が子の存命を懸命に願う慈愛の時間として、あるいは、「普通」の人生に別れを告げるまでの、煩悶の永劫として。
赤子が産まれたらすぐに医者が退席するのも、この事情に拠っていた。もしかしたら、赤子とともにいられる最初にして最後の時間かもしれない––––それで、「命の時間」は赤子の身の危険を承知の上で、妻と夫をのみ病室に残すのだ。
この若き夫婦も、「命の時間」が滴らせる極限の緊張の中に、身を置いていた。
「もしも……もしもだよ。この子が生き残ってくれたとして、「あぶく」になったら君はどうする?
夫が沈黙を切り裂いた。
「……いや、馬鹿な質問をした。許してくれ。これはもう以前から話し合っていたことだったね」
その声は震えている。
妻は、それにこう答えた。
「私は、たとえこの子が「あぶく」だったとしても……、ちゃんと育てるつもり。私たちの子に違いはないもの。ね?」
ずっと一緒よ、と、確かめるように我が子の目を見やる。
「うん……そうだよね」
夫の顔に怯えの色を見て取った妻は、さらに続けた。
「そう。私も怖い……。でも、決めたでしょう? この子はこの子。何があっても、受け容れるって」
「そうだよ……そうだよね。うん、僕も受け容れてる。いや、受け容れたい……のかな。ああ、君みたいに強くいられたらといつも思うよ」
「ううん、そうやって自分の弱さを認められることが、本当の強さなんだと思う……」
ねえ、ヒステ。あなたも強く優しい子になってね––––。
時は牛のように、のっしりと、のっしりと、歩む。
時計の針が十を刻む頃には、彼らは疲れ果てていた。
どれほどの汗が彼らを濡らしたことだろう、重い病室のドアがようやく開かれるまでに。
医師が足早に入室し、赤子の身体を洗ってやる。
妻は、びしょ濡れの病衣を脱ぎ捨てた。夫が着替えを取り、彼女に差し出した。
そのとき、夫は見逃さなかった。妻の頰に、涙が一筋伝い落ちるのを。
––––この間、赤子の泣き声は一度も聞こえなかった。
*
「お母さん、おはよう」
「おはよう。さ、朝ごはんできてるよ」
「はーい」
あれから七年の歳月が流れた。
学校に通い始めたばかりのヒステにとって、今日は初めての休日だった。慣れない一週間を過ごしてからの自由な一日は、ヒステに特別な高揚感を与えた。
「いただきます!」
「今日のごはん、おいしいね!」
「今日のごはんも、でしょ」
「うん、そうだね」
屈託なく笑うヒステに、母もまた優しく笑いかける。
「ヒステね、お母さんのお料理だーいすき!」
「ふふ、ありがとう。お母さんもね、ヒステのことだーいすきなんだよ」
「えへへ」
穏やかな朝が、二人を出迎えた。柔らかな陽がそっとテーブルをあたためている。
「お父さんも、たくさん食べてね!」
ヒステはおもむろにそう言うと、父の席に小さくちぎったパンを置いた。
「ほら、ヒステのちょっとあげる」
そして、写真の中で微笑む父の口元に、パンをこすりつけた。
「ヒステ。お父さん、美味しいって言ってる?」
「うん!」
父は、半年ほど前に他界したばかりだった。
勤め先の工場での不幸な事故に巻き込まれて、命を落としたのだ。しかし、世間はそれを事故ではなく「事件」として冷遇した。「あぶく」によってもたらされた大惨事だったからだ。
翌朝の新聞は、大見出しにこう喧伝した。
「工場で大爆発––––「あぶく」による誤操作か」
実に、数十名の尊い命が失われた。そして、その中に父がいた。
遺影の中の父は笑っている。しかし、表面にできた染みのようなもので、少し歪んでも見えた。
母は毎日泣いていた。やっとのことで娘のために食事を用意し、あとは昼夜問わずベッドに横たわり、身動き一つ取れないほどに塞ぎ込んでいた。愛する夫を亡くした悲しみは、それほどまでに彼女の心を深く抉ってしまったのだ。
ヒステは自分自身も悲しみにくれながら、しかし幼いながらも、母親の悲嘆をも気遣うほどに、ことの重みを理解していた。おつかいを頼まれれば引き受けるし、家の掃除もした。周りの大人が見れば、きっと健気な子だと褒めそやしただろう。あるいは、父を亡くした不憫な子だと憐れんだだろうか。
いずれにせよ、それも全てヒステがまだ「あぶく」を発症していなかったから、ぎりぎりのところで保たれていた日々だったのかもしれない。
*
父の死以来、ヒステの一日は、いつも彼女の「宝物」のスイッチを入れるところから始まった。
カメラだ。亡き父が遺した、思い出の宝箱。
シャッターを切って、記録された画像を見て楽しむ––––それが、ヒステにとってたまらなく楽しいことだった。とりわけ、ヒステは両親の写真を撮るのが好きだった。笑顔も怒った顔も、何でも撮ってはたっぷりと溜め込んで、一日の終わりにそれらを眺めて楽しむのだ。
使い方は、前に父からちゃんと教えてもらっていた。いつかこの子が「あぶく」になった時のために––––そう考えて、父はヒステに自転車の乗り方を教えるよりも先に、写真の撮り方を教えておいた。
いまのヒステのお気に入りの一枚は、彼女の六歳の誕生日を祝う両親を収めたものだ。子供のようにはしゃぐ父もいれば、慈愛の表情でこちらを見つめる母もいる。落ち込んだときも、これさえあればヒステは元気が湧いてくるのだった。
「ねえ、お母さん、見て見て。お父さん笑ってるよ。このあとにね、ヒステのケーキを取ろうとしたんだよ」
「あら、悪いお父さんねえ」
「ほらほら、見て。ヒステのいちご、お父さんつっついてるの」
胸が痛んだ。
あなた、どうして––––。
言葉は穏やかでも、微笑みより先に涙がこぼれ落ちそうになる。
「お母さん……?」
「ううん……ごめんね」
どうしたって、涙が垂れてしまう。
「お母さん、泣かないで」
必死に謝るヒステ。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「やだよお、泣かないでよお」
ひっく、ひっく、と嗚咽を漏らす。
「お母さん泣いたら、ヒステ悲しいよお」
「うん……ごめんね」
ひとりの涙が、もうひとりの涙を誘う。悲しみにくれる家で、母と娘ふたり。
ふたり、だけ。
*
「ヒステ。お母さん、お買い物に行ってくるね」
父の死から一年が経過した。寝込みがちだった母も次第に元気を取り戻し、少しずつではあるが、嘆きの家にも日常が戻り始めていた。
「はーい!」
「いい子でお留守番してるのよ」
「うん!」
しかし。
買い物から帰ってきた母は、半開きになった我が家のドアを見て、色を失った。
「え? やだ……」
恐る恐るドアに手をかけ、引いてみた。内部を覗き込む。
誰もいない。人の気配を感じない。
「ヒステー?」
返事はなかった。
「ヒステ? どこにいるの?」
部屋にも、いない。
「ヒステってば!」
家の中にはいないようだ。
「そんな……!」
たまらず嫌な予感がして、家から飛び出した。
悪寒がする。冷や汗が垂れる。あのときと同じだった。あの、娘が産まれたときと同じ汗が––––。
家の周りを駆けた。公園も巡った。ヒステの好きな雑貨屋にも飛び込んだ。
だが、どこにもいない。
「そんな……ヒステ! どこに行ってしまったの……」
目に涙が浮かぶ。夕暮れの町の風景が、いやにかすんでしまう。
「ヒステ……お願いだから出てきてよ……」
その後、母は一縷の望みをかけて、駅前の交番を訪れてみた。薄暗がりの室内で、警官に切々と訴えた。私の娘––––ヒステを見ていませんか? 何か迷子の情報は? 何でもいいから、何でもいいから教えてください、と。
だが、警官はかぶりを振った。そして、こんなことを言った。
「もしかしたら……おたくの娘さん、あれなんじゃないかなあ。多いんですよ、急にいなくなっちゃう人。心当たりはありませんか。そういうのって大体––––」
「やめてください!」
母はいきりたって警官を制した。
「私の娘は……違うんです」
私の娘は、違うんです、と、かすれた声でもう一言つぶやいて、母は交番をあとにした。
失意の母は、ため息にもならないため息をついて、ただ呆然と立ち尽くした。どれほどそうしていただろうか。ふと帰ろうと思い立って、駅舎を背にしたときに、良からぬ予感とともに目に飛び込むものがあった。
いた。すぐそこのロータリーに––––惚けたような顔をして立っている我が子が。
*
「ヒステ!」
駆け寄る母に、ヒステは目を向けた。
「あ……お母さん?」
「ヒステ! こんなところで何してるの! どうしてお家でいい子にしてなかったの? お母さん、すっごく心配したんだよ! もう、こんなところでうろうろして……だめじゃない!」
矢継ぎ早に飛び出る言葉が、ヒステを打つ。
「え? だって……急にお母さんいなくなっちゃうから……。いつまでも帰ってこないから、ヒステが探しにきてあげたんだよ」
「何言ってるの! お母さんは買い物に行くから留守番しててって、そう言ったでしょう?」
「ううん、違うよ。ヒステはそれまでお母さんとお洗濯してたでしょ? そうしたら、お母さんが急にいなくなっちゃったんだもん」
どうもおかしい。話が噛み合わない。
「……ヒステ? お洗濯してたことは覚えてるの?」
「うん」
「そのあと、お母さんがお買い物に行くって言ったことは?」
「え? そんなこと言ってないよ! お母さん、洗濯物干しに行ったと思ったら、いなかったんだもん」
さらにヒステはこうつけ加えた。
「でもね、ヒステね、お母さんを探しにお家出てきたのに、景色がいつの間にか変わってるの。あのね、初めは……どこに行ったんだったかなあ。でもね、でもね、今度はここにいたの。ヒステ、迷子になっちゃったのかな。でも、お母さんが……」
混乱する我が子の言葉を遮って、母は彼女を抱き寄せた。その眼を濡らして、こらえきれないほどの涙をためて、嗚咽交じりに抱きしめた。
「ヒステ……あなたは……」
「お母さん、苦しいよ。そんなに強くしたら、痛いよ」
「ヒステ……!」
「お母さん?」
「ん……? あれ?」
ついに––––この時がきてしまったのね。
母は怖かった。次にヒステに顔を向けたとき、娘はきっとぼんやりと虚空を見つめているに違いなかった。その娘の顔を、見つめることができるのか。その娘の言葉を、聞き届けることができるのか。
母にはわからなかった。あの時、「命の時間」に自分が言ったことを、守り通せるのか。夫さえいてくれたら、乗り切れたのに……。
あなた、どうしていってしまったの?
ヒステは––––いま「あぶく」になったよ。
母は静かに顔を上げた。焦点の定まらない視線を、こちらに向ける娘が、腕の中にひとり。
愛しい我が子はこう言った。
「あれ? お母さん! どこ行ってたの?」
私は––––どうすればいいんだろう。
それ以上、ヒステの言葉が聞こえない。何も、何も聞こえやしない。目の前が赤く醜く歪んで、まっさかさまに転げ落ちる思いがした。
*
それから、二年の歳月が流れた。
少女の時は、あの日を境に止まったままだった。いかに体は成長しようとも、心だけは永遠にあの日を彷徨っていた。氷に閉ざされた記憶と、永遠に「十分」を行き来する感情––––。
まず、友達が少女のもとを去っていった。いつまでも「七歳」のままの彼女と、烈しく揺れ動く同い年の子らが、ともに等しい時間を過ごすことはできなかったのだ。
「ねえ、今日遊ぼうよ」
ヒステが、友達だった––––彼女の中では確かに友達だった––––少年少女に声をかけると、彼らは決まってこう言うものだった。
「じゃあ、十分後に公園でね!」
ヒステの「十分後」は、永遠にやってこない。十分経てば、彼女はまた悲しい誘いを繰り返すのだ。
「ねえ、今日遊ぼうよ」
そんなヒステを見てやりきれなくなった母は、夕暮れになっても「今日はまだお友達と遊んでないもん!」と言い張る彼女に、歯を食いしばってこう諭すのだった。
「ヒステ、今日はもう終わったんだよ」
彼女にとって、始まりと終わりのある「今日」など存在しない。ましてや、昨日や明日などあり得ない。永遠の「いま」を生き続けなければならない悲しみを、悲しいと思うことすらできない。それを知りながら、それでも母は、まだ遊びたがるヒステの手を引いた。
そして、さらに二年後––––。
「お母さん、どこに行くの?」
「買い物よ」
「お母さん、どこに行くの?」
「学校よ。あんたのことで、話をしに行くのよ」
どこか冷やりとした言葉が、ヒステを刺す。
「お母さん、どこに行くの?」
「あーはいはい、買い物ですよ、かいもの。わかる?」
お母さん、どこに行くの? お母さん、どこに行くの? お母さん、どこに行くの––––?
そのうち、母は何も答えなくなった。答えても覚えていないのだから、最初から答えないのと同じでしょ––––そう吐き捨てて、足早に街へ繰り出して行く。
しかし、ヒステは訊き続ける。健気にも、日毎によそよそしくなっていく母に。
そして。
「お母さん、どこに行くの?」
今度は––––母が帰ってこなかった。
*
「お母さん、帰ってこないなぁ」
すでに三日、少女は何も食べていなかった。いや、近頃はまともに食事をさせてもらえていなかった。何かを食べたくても、食材も金もない。だから、ただただ母の帰りを待っていた。二度と帰ってこないとは夢にも思わずに。
少女はカメラの写真を繰った。六歳の誕生日の写真には、美味しそうな料理がたくさん写り込んでいる。鶏のグリルに、大盛りのグラタン。ボウルいっぱいのフルーツ・ポンチに……食後のケーキ! みな、彼女の大好物ばかりだ。みんな、母が腕によりをかけて作ったご馳走だった。在りし日の父は、娘のケーキにろうそくを立てている。三角帽子をかぶって、一番楽しそうにはしゃいでいる。飾りつけも父がしたのだ。丁寧とは言えないが、それでも一生懸命に家中にかけられたリースやら、所狭しと並べられた愛娘のぬいぐるみやら……。
「お母さん、どこ行っちゃったの……?」
「……あれ? お母さーん? いないのかな……?」
「お洗濯、まだ終わってないよ……」
「お腹すいたなぁ……」
カメラの画面は、いつまで経っても六歳の誕生日を彷徨っていた。
赤く眩い夕陽が差し込む部屋の中、少女の傍には電池切れのカメラが転がっている。
二度と開くことのない彼女の口元には、柔らかな微笑みがたたえられていた。
たくさんの、数え切れない思い出に囲まれたことだろう。
何度でも、何度でも、消えてはまたはじめから甦る思い出たちに。
彼女は旅立ったのだ。その美しい記憶を携えて。
––––あるいはそれが、彼女の死すべきものだった。
*
娘の死を知らされたのは、警察署で取調べを受けているときのことでした。私はやりきれない気持ちと、何やら一つの区切りがついたことへの安堵のようなものとが、ないまぜになった微妙な心地がして、それがたまらず苦しかったのを覚えています。私は自ら娘を殺しました。私が手にかけたも同然です。しかし、傍にいた警察官が、確かにこうぼやいているのを聞いたのです。
「あぶく」じゃ仕方ないよなあ……かわいそうに。
かわいそうなのは、私でしょうか、娘でしょうか。いえ、きっと娘に違いないのです。ですが、どうして私の中に安堵が生まれていたのでしょうか。私にはわからないのです。私は、娘を産んだあのとき、あの忌まわしい「命の時間」で誓いました。確かに誓いました。娘が「あぶく」になっても幸せにしてみせる、と。でも、できませんでした。
あんた、早くに旦那さん亡くして、ひとりでよく頑張ったんじゃないかい?
私は頑張ったのでしょうか。それはもちろん、頑張りました。娘が「あぶく」になってからも、私は一生懸命彼女の世話をしてやりました。何度何度も、何度同じことを言おうとも、粘り強く言葉を返しました。でも、いずれはガタがくるのです。発症から四年も経つ頃には、私はもう限界でした。
ま、死なせた相手が「あぶく」じゃあ無理もないよ。あんたは裁判こそ受けるが、牢屋に行くことはない。もし重くても、執行猶予つきでじき家に帰れるだろうよ。
家––––。私があのとき買い物に行かなければ、あのまま家で娘と過ごしていれば、娘は町を彷徨わずに済みました。永劫、母を探す悪夢を見なくて済んだのです。その家ですか? そうです、今も私は住んでいます。ええ、時折、娘の影が見えますよ。お母さん、おかえり、って、娘がそう言ってくれるんです。その度に、私はあの日、あのおぞましい出来事に苦しめられた私が救われるような気がするのです。
そう、この前、娘のために写真を撮りました。見てください、ほら。あの子は「あぶく」だから、私がしっかり焼き付けてやらなきゃいけないんですよ。ほら、こうやってお母さんはいつまでもお家にいるからね、って。ずうっと、ヒステのこと待ってるからね、って。家にはたくさん写真を飾ってあるんです。
でも、あの子ったら、私に気づかずにこう言うんです。「お母さん、どこ行っちゃったの? お母さん、お母さん」って––––。
http://gbuc.net/modules/myalbum/photo.php?lid=17260&cid=3
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あぶくのヒステ
悪い病が、人々を脅かしていた。
この地方の風土病で、感染すると記憶が失われる。いや、失われるようになる。ある一定の時間が経過するごとに、それまでの記憶が失われてしまうのだ。家族との思い出も、友人との約束も、恋人との情熱も。
強いて不幸中の幸いを見つけようというのなら、それは発症するまでの記憶は保たれる、ということにあったかもしれない。十歳で発症すれば、それまでの記憶は保たれる。成人してから発症しても、初老で発症しても、それは変わらない。
––––だからこそ、罹患者は不幸なのかもしれない。これまでの日常が、突然その歩みを止めるということの悲しみ。いや、患者本人のみではない。彼らの心はいつまでも往時のままなのに、周りの人々は日ごとに老い、成長しゆくからこそ、互いの隔たりがどこまでも広がっていくということの、苦しみ。
この呪わしき病は、誰をも不幸にした。
患者たちは働けない––––彼らに仕事を教えることは困難だから。しかし、国は彼らの人権保護を標榜し、必ず幾人かを雇うよう企業に義務づけた。働くことなんてできやしないのに? 誰もがそう思ったのは、当然のことだった。
患者たちは学べない––––彼らに勉強を教えることは困難だから。とくに、子供の場合は悲惨だった。義務教育とはいえ、たとえ授業を受けてもすぐに忘れてしまうのに、誰が真面目に教えるだろう? 放っておかれるのは、自然なことだった。
患者たちには居場所がない––––彼らを世話するのは困難だから。もしも、あなたの周りに彼らがいたらどうするだろう? きっとあなたは言うかもしれない、最後まで面倒をみるのだと。もちろん、誰もがそう言った。なのに––––。
次第に、皆が皆、患者達を忌み嫌うようになった。
何をやっても水の泡––––だから、彼らは「あぶく」と呼ばれるようになった。憐れみと、侮蔑と、ある種の憎しみを込めて。時期は定かではない。いつしか、どこからか。そして、誰からも。あまつさえ、彼ら自身によっても。
*
ある夫婦が、産まれたばかりの赤子をさも愛おしそうにあやしている。
そこに医者の姿はない。助産師もいない。あるのはがらんどうとした白い空間に、婦人の横たわるベッドが一つあるだけだ。そこに、夫と子。
「なあ……かわいいな」
「ええ……」
ささやきあう夫と妻。そこにうずもれる愛の結晶との間に、確かな幸福が満ち満ちているのを二人はひしと感じていた。
しかし––––。
「なあ……大丈夫かな」
「きっと……きっとよ」
一抹の不安がよぎるのもまた、認めた。
風土病は、残酷にも産まれてすぐの赤子に三つの運命を選ばせる。生か死か、はたまた「あぶく」か––––。
この地方に生を享けた赤子は、まず十中二、三が死ぬ。それも、わずか十分で死ぬ。遺伝子に原因でもあるというのだろうか、とにかく産まれて十分きっかりで、ぱたと斃れてしまう。かといって、生きながらえれば良いというものでもなかった。七人が生き残ったのなら、うち一人はその心臓の代わりに涙を止める。これもまた、産後十分のことだ。
赤子の泣き止んだ瞬間の静寂が、どれほどの夫婦を苛んできたことだろう。一つの命につき、一つの静寂が訪れるかもしれない。そんな一瞬が、いくつもあった。「あぶく」を告げるのは、紛れもなくこの不吉な静けさだった。
生か死か、はたまた「あぶく」か。だから、この十分間は「命の時間」と呼ばれ、古くから人々に畏れられてきた。赤子の己が命運を決する厳粛な瞬間として、夫婦が我が子の存命を懸命に願う慈愛の時間として、あるいは、「普通」の人生に別れを告げるまでの、煩悶の永劫として。
赤子が産まれたらすぐに医者が退席するのも、この事情に拠っていた。もしかしたら、赤子とともにいられる最初にして最後の時間かもしれない––––それで、「命の時間」は赤子の身の危険を承知の上で、妻と夫をのみ病室に残すのだ。
この若き夫婦も、「命の時間」が滴らせる極限の緊張の中に、身を置いていた。
「もしも……もしもだよ。この子が生き残ってくれたとして、「あぶく」になったら君はどうする?
夫が沈黙を切り裂いた。
「……いや、馬鹿な質問をした。許してくれ。これはもう以前から話し合っていたことだったね」
その声は震えている。
妻は、それにこう答えた。
「私は、たとえこの子が「あぶく」だったとしても……、ちゃんと育てるつもり。私たちの子に違いはないもの。ね?」
ずっと一緒よ、と、確かめるように我が子の目を見やる。
「うん……そうだよね」
夫の顔に怯えの色を見て取った妻は、さらに続けた。
「そう。私も怖い……。でも、決めたでしょう? この子はこの子。何があっても、受け容れるって」
「そうだよ……そうだよね。うん、僕も受け容れてる。いや、受け容れたい……のかな。ああ、君みたいに強くいられたらといつも思うよ」
「ううん、そうやって自分の弱さを認められることが、本当の強さなんだと思う……」
ねえ、ヒステ。あなたも強く優しい子になってね––––。
時は牛のように、のっしりと、のっしりと、歩む。
時計の針が十を刻む頃には、彼らは疲れ果てていた。
どれほどの汗が彼らを濡らしたことだろう、重い病室のドアがようやく開かれるまでに。
医師が足早に入室し、赤子の身体を洗ってやる。
妻は、びしょ濡れの病衣を脱ぎ捨てた。夫が着替えを取り、彼女に差し出した。
そのとき、夫は見逃さなかった。妻の頰に、涙が一筋伝い落ちるのを。
––––この間、赤子の泣き声は一度も聞こえなかった。
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「お母さん、おはよう」
「おはよう。さ、朝ごはんできてるよ」
「はーい」
あれから七年の歳月が流れた。
学校に通い始めたばかりのヒステにとって、今日は初めての休日だった。慣れない一週間を過ごしてからの自由な一日は、ヒステに特別な高揚感を与えた。
「いただきます!」
「今日のごはん、おいしいね!」
「今日のごはんも、でしょ」
「うん、そうだね」
屈託なく笑うヒステに、母もまた優しく笑いかける。
「ヒステね、お母さんのお料理だーいすき!」
「ふふ、ありがとう。お母さんもね、ヒステのことだーいすきなんだよ」
「えへへ」
穏やかな朝が、二人を出迎えた。柔らかな陽がそっとテーブルをあたためている。
「お父さんも、たくさん食べてね!」
ヒステはおもむろにそう言うと、父の席に小さくちぎったパンを置いた。
「ほら、ヒステのちょっとあげる」
そして、写真の中で微笑む父の口元に、パンをこすりつけた。
「ヒステ。お父さん、美味しいって言ってる?」
「うん!」
父は、半年ほど前に他界したばかりだった。
勤め先の工場での不幸な事故に巻き込まれて、命を落としたのだ。しかし、世間はそれを事故ではなく「事件」として冷遇した。「あぶく」によってもたらされた大惨事だったからだ。
翌朝の新聞は、大見出しにこう喧伝した。
「工場で大爆発––––「あぶく」による誤操作か」
実に、数十名の尊い命が失われた。そして、その中に父がいた。
遺影の中の父は笑っている。しかし、表面にできた染みのようなもので、少し歪んでも見えた。
母は毎日泣いていた。やっとのことで娘のために食事を用意し、あとは昼夜問わずベッドに横たわり、身動き一つ取れないほどに塞ぎ込んでいた。愛する夫を亡くした悲しみは、それほどまでに彼女の心を深く抉ってしまったのだ。
ヒステは自分自身も悲しみにくれながら、しかし幼いながらも、母親の悲嘆をも気遣うほどに、ことの重みを理解していた。おつかいを頼まれれば引き受けるし、家の掃除もした。周りの大人が見れば、きっと健気な子だと褒めそやしただろう。あるいは、父を亡くした不憫な子だと憐れんだだろうか。
いずれにせよ、それも全てヒステがまだ「あぶく」を発症していなかったから、ぎりぎりのところで保たれていた日々だったのかもしれない。
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父の死以来、ヒステの一日は、いつも彼女の「宝物」のスイッチを入れるところから始まった。
カメラだ。亡き父が遺した、思い出の宝箱。
シャッターを切って、記録された画像を見て楽しむ––––それが、ヒステにとってたまらなく楽しいことだった。とりわけ、ヒステは両親の写真を撮るのが好きだった。笑顔も怒った顔も、何でも撮ってはたっぷりと溜め込んで、一日の終わりにそれらを眺めて楽しむのだ。
使い方は、前に父からちゃんと教えてもらっていた。いつかこの子が「あぶく」になった時のために––––そう考えて、父はヒステに自転車の乗り方を教えるよりも先に、写真の撮り方を教えておいた。
いまのヒステのお気に入りの一枚は、彼女の六歳の誕生日を祝う両親を収めたものだ。子供のようにはしゃぐ父もいれば、慈愛の表情でこちらを見つめる母もいる。落ち込んだときも、これさえあればヒステは元気が湧いてくるのだった。
「ねえ、お母さん、見て見て。お父さん笑ってるよ。このあとにね、ヒステのケーキを取ろうとしたんだよ」
「あら、悪いお父さんねえ」
「ほらほら、見て。ヒステのいちご、お父さんつっついてるの」
胸が痛んだ。
あなた、どうして––––。
言葉は穏やかでも、微笑みより先に涙がこぼれ落ちそうになる。
「お母さん……?」
「ううん……ごめんね」
どうしたって、涙が垂れてしまう。
「お母さん、泣かないで」
必死に謝るヒステ。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「やだよお、泣かないでよお」
ひっく、ひっく、と嗚咽を漏らす。
「お母さん泣いたら、ヒステ悲しいよお」
「うん……ごめんね」
ひとりの涙が、もうひとりの涙を誘う。悲しみにくれる家で、母と娘ふたり。
ふたり、だけ。
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「ヒステ。お母さん、お買い物に行ってくるね」
父の死から一年が経過した。寝込みがちだった母も次第に元気を取り戻し、少しずつではあるが、嘆きの家にも日常が戻り始めていた。
「はーい!」
「いい子でお留守番してるのよ」
「うん!」
しかし。
買い物から帰ってきた母は、半開きになった我が家のドアを見て、色を失った。
「え? やだ……」
恐る恐るドアに手をかけ、引いてみた。内部を覗き込む。
誰もいない。人の気配を感じない。
「ヒステー?」
返事はなかった。
「ヒステ? どこにいるの?」
部屋にも、いない。
「ヒステってば!」
家の中にはいないようだ。
「そんな……!」
たまらず嫌な予感がして、家から飛び出した。
悪寒がする。冷や汗が垂れる。あのときと同じだった。あの、娘が産まれたときと同じ汗が––––。
家の周りを駆けた。公園も巡った。ヒステの好きな雑貨屋にも飛び込んだ。
だが、どこにもいない。
「そんな……ヒステ! どこに行ってしまったの……」
目に涙が浮かぶ。夕暮れの町の風景が、いやにかすんでしまう。
「ヒステ……お願いだから出てきてよ……」
その後、母は一縷の望みをかけて、駅前の交番を訪れてみた。薄暗がりの室内で、警官に切々と訴えた。私の娘––––ヒステを見ていませんか? 何か迷子の情報は? 何でもいいから、何でもいいから教えてください、と。
だが、警官はかぶりを振った。そして、こんなことを言った。
「もしかしたら……おたくの娘さん、あれなんじゃないかなあ。多いんですよ、急にいなくなっちゃう人。心当たりはありませんか。そういうのって大体––––」
「やめてください!」
母はいきりたって警官を制した。
「私の娘は……違うんです」
私の娘は、違うんです、と、かすれた声でもう一言つぶやいて、母は交番をあとにした。
失意の母は、ため息にもならないため息をついて、ただ呆然と立ち尽くした。どれほどそうしていただろうか。ふと帰ろうと思い立って、駅舎を背にしたときに、良からぬ予感とともに目に飛び込むものがあった。
いた。すぐそこのロータリーに––––惚けたような顔をして立っている我が子が。
*
「ヒステ!」
駆け寄る母に、ヒステは目を向けた。
「あ……お母さん?」
「ヒステ! こんなところで何してるの! どうしてお家でいい子にしてなかったの? お母さん、すっごく心配したんだよ! もう、こんなところでうろうろして……だめじゃない!」
矢継ぎ早に飛び出る言葉が、ヒステを打つ。
「え? だって……急にお母さんいなくなっちゃうから……。いつまでも帰ってこないから、ヒステが探しにきてあげたんだよ」
「何言ってるの! お母さんは買い物に行くから留守番しててって、そう言ったでしょう?」
「ううん、違うよ。ヒステはそれまでお母さんとお洗濯してたでしょ? そうしたら、お母さんが急にいなくなっちゃったんだもん」
どうもおかしい。話が噛み合わない。
「……ヒステ? お洗濯してたことは覚えてるの?」
「うん」
「そのあと、お母さんがお買い物に行くって言ったことは?」
「え? そんなこと言ってないよ! お母さん、洗濯物干しに行ったと思ったら、いなかったんだもん」
さらにヒステはこうつけ加えた。
「でもね、ヒステね、お母さんを探しにお家出てきたのに、景色がいつの間にか変わってるの。あのね、初めは……どこに行ったんだったかなあ。でもね、でもね、今度はここにいたの。ヒステ、迷子になっちゃったのかな。でも、お母さんが……」
混乱する我が子の言葉を遮って、母は彼女を抱き寄せた。その眼を濡らして、こらえきれないほどの涙をためて、嗚咽交じりに抱きしめた。
「ヒステ……あなたは……」
「お母さん、苦しいよ。そんなに強くしたら、痛いよ」
「ヒステ……!」
「お母さん?」
「ん……? あれ?」
ついに––––この時がきてしまったのね。
母は怖かった。次にヒステに顔を向けたとき、娘はきっとぼんやりと虚空を見つめているに違いなかった。その娘の顔を、見つめることができるのか。その娘の言葉を、聞き届けることができるのか。
母にはわからなかった。あの時、「命の時間」に自分が言ったことを、守り通せるのか。夫さえいてくれたら、乗り切れたのに……。
あなた、どうしていってしまったの?
ヒステは––––いま「あぶく」になったよ。
母は静かに顔を上げた。焦点の定まらない視線を、こちらに向ける娘が、腕の中にひとり。
愛しい我が子はこう言った。
「あれ? お母さん! どこ行ってたの?」
私は––––どうすればいいんだろう。
それ以上、ヒステの言葉が聞こえない。何も、何も聞こえやしない。目の前が赤く醜く歪んで、まっさかさまに転げ落ちる思いがした。
*
それから、二年の歳月が流れた。
少女の時は、あの日を境に止まったままだった。いかに体は成長しようとも、心だけは永遠にあの日を彷徨っていた。氷に閉ざされた記憶と、永遠に「十分」を行き来する感情––––。
まず、友達が少女のもとを去っていった。いつまでも「七歳」のままの彼女と、烈しく揺れ動く同い年の子らが、ともに等しい時間を過ごすことはできなかったのだ。
「ねえ、今日遊ぼうよ」
ヒステが、友達だった––––彼女の中では確かに友達だった––––少年少女に声をかけると、彼らは決まってこう言うものだった。
「じゃあ、十分後に公園でね!」
ヒステの「十分後」は、永遠にやってこない。十分経てば、彼女はまた悲しい誘いを繰り返すのだ。
「ねえ、今日遊ぼうよ」
そんなヒステを見てやりきれなくなった母は、夕暮れになっても「今日はまだお友達と遊んでないもん!」と言い張る彼女に、歯を食いしばってこう諭すのだった。
「ヒステ、今日はもう終わったんだよ」
彼女にとって、始まりと終わりのある「今日」など存在しない。ましてや、昨日や明日などあり得ない。永遠の「いま」を生き続けなければならない悲しみを、悲しいと思うことすらできない。それを知りながら、それでも母は、まだ遊びたがるヒステの手を引いた。
そして、さらに二年後––––。
「お母さん、どこに行くの?」
「買い物よ」
「お母さん、どこに行くの?」
「学校よ。あんたのことで、話をしに行くのよ」
どこか冷やりとした言葉が、ヒステを刺す。
「お母さん、どこに行くの?」
「あーはいはい、買い物ですよ、かいもの。わかる?」
お母さん、どこに行くの? お母さん、どこに行くの? お母さん、どこに行くの––––?
そのうち、母は何も答えなくなった。答えても覚えていないのだから、最初から答えないのと同じでしょ––––そう吐き捨てて、足早に街へ繰り出して行く。
しかし、ヒステは訊き続ける。健気にも、日毎によそよそしくなっていく母に。
そして。
「お母さん、どこに行くの?」
今度は––––母が帰ってこなかった。
*
「お母さん、帰ってこないなぁ」
すでに三日、少女は何も食べていなかった。いや、近頃はまともに食事をさせてもらえていなかった。何かを食べたくても、食材も金もない。だから、ただただ母の帰りを待っていた。二度と帰ってこないとは夢にも思わずに。
少女はカメラの写真を繰った。六歳の誕生日の写真には、美味しそうな料理がたくさん写り込んでいる。鶏のグリルに、大盛りのグラタン。ボウルいっぱいのフルーツ・ポンチに……食後のケーキ! みな、彼女の大好物ばかりだ。みんな、母が腕によりをかけて作ったご馳走だった。在りし日の父は、娘のケーキにろうそくを立てている。三角帽子をかぶって、一番楽しそうにはしゃいでいる。飾りつけも父がしたのだ。丁寧とは言えないが、それでも一生懸命に家中にかけられたリースやら、所狭しと並べられた愛娘のぬいぐるみやら……。
「お母さん、どこ行っちゃったの……?」
「……あれ? お母さーん? いないのかな……?」
「お洗濯、まだ終わってないよ……」
「お腹すいたなぁ……」
カメラの画面は、いつまで経っても六歳の誕生日を彷徨っていた。
赤く眩い夕陽が差し込む部屋の中、少女の傍には電池切れのカメラが転がっている。
二度と開くことのない彼女の口元には、柔らかな微笑みがたたえられていた。
たくさんの、数え切れない思い出に囲まれたことだろう。
何度でも、何度でも、消えてはまたはじめから甦る思い出たちに。
彼女は旅立ったのだ。その美しい記憶を携えて。
––––あるいはそれが、彼女の死すべきものだった。
*
娘の死を知らされたのは、警察署で取調べを受けているときのことでした。私はやりきれない気持ちと、何やら一つの区切りがついたことへの安堵のようなものとが、ないまぜになった微妙な心地がして、それがたまらず苦しかったのを覚えています。私は自ら娘を殺しました。私が手にかけたも同然です。しかし、傍にいた警察官が、確かにこうぼやいているのを聞いたのです。
「あぶく」じゃ仕方ないよなあ……かわいそうに。
かわいそうなのは、私でしょうか、娘でしょうか。いえ、きっと娘に違いないのです。ですが、どうして私の中に安堵が生まれていたのでしょうか。私にはわからないのです。私は、娘を産んだあのとき、あの忌まわしい「命の時間」で誓いました。確かに誓いました。娘が「あぶく」になっても幸せにしてみせる、と。でも、できませんでした。
あんた、早くに旦那さん亡くして、ひとりでよく頑張ったんじゃないかい?
私は頑張ったのでしょうか。それはもちろん、頑張りました。娘が「あぶく」になってからも、私は一生懸命彼女の世話をしてやりました。何度何度も、何度同じことを言おうとも、粘り強く言葉を返しました。でも、いずれはガタがくるのです。発症から四年も経つ頃には、私はもう限界でした。
ま、死なせた相手が「あぶく」じゃあ無理もないよ。あんたは裁判こそ受けるが、牢屋に行くことはない。もし重くても、執行猶予つきでじき家に帰れるだろうよ。
家––––。私があのとき買い物に行かなければ、あのまま家で娘と過ごしていれば、娘は町を彷徨わずに済みました。永劫、母を探す悪夢を見なくて済んだのです。その家ですか? そうです、今も私は住んでいます。ええ、時折、娘の影が見えますよ。お母さん、おかえり、って、娘がそう言ってくれるんです。その度に、私はあの日、あのおぞましい出来事に苦しめられた私が救われるような気がするのです。
そう、この前、娘のために写真を撮りました。見てください、ほら。あの子は「あぶく」だから、私がしっかり焼き付けてやらなきゃいけないんですよ。ほら、こうやってお母さんはいつまでもお家にいるからね、って。ずうっと、ヒステのこと待ってるからね、って。家にはたくさん写真を飾ってあるんです。
でも、あの子ったら、私に気づかずにこう言うんです。「お母さん、どこ行っちゃったの? お母さん、お母さん」って––––。
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投稿者 | スレッド |
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kimux | 投稿日時: 2019-12-9 1:29 更新日時: 2019-12-9 1:32 |
![]() ![]() 登録日: 2004-2-11 居住地: 地球 投稿数: 6793 |
![]() 閉じた時間SFのような読了感。すばらしいです。
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