gigo さんの日記
2013
4月
28
(日)
23:17
演歌への道「砂に書いたラブレター」
本文
先日SCRAPSさんの「ガラクタ通信その5」に少しだけ、戦後歌謡曲への黒人音楽の影響について書きましたが、かなり中途半端に書いたので、だいぶモヤモヤとした気持ちが残っていて、もう少しだけ「フランク永井の君恋し」と、関連した一連の歌謡曲の流れについて考えてみたいと思っています。
やはり時間軸で追って行くのがいいかもしれません。始めはジーン・オースティン1931年の「砂に書いたラブレター」です。ジーン・オースティンは20世紀始めから中期のアメリカ人シンガー・ソングライターで、ナット・キングコールやフランク・シナロラとか、ジャズ・ボーカルで歌われている曲がいろいろあります。たしかリンゴ・スターも彼の曲を歌っています。いかにも20世紀始め頃の雰囲気が漂っていますね。
Gene Austin "Love Letters In The Sand" 1931
次はニューオリンズの黒人R&Bシンガー、ファッツ・ドミノ1955年のヒット「Ain't That A Shame」です。こちらはニューオリンズと言うローカルのシンガーが全米で大ヒットした曲で、現代では、ロックン・ロールを作ったひとりと言う評価ですね。
Fats Domino "Ain't That A Shame" 1955
さて次はパット・ブーンが歌う「砂に書いたラブレター」のニューオリンズ・スタイルにアレンジしたリバイバル・バージョンです。この曲は1957年、ビルボード5週1位で3年以上ヒット・チャートに留まっていたそうで、かなりのヒットですね。たぶん聴いた事はあると思います。
pat boone "love letters in the sand"
メンフィスの田舎の白人エルビス・プレスリーが、黒人の曲を歌って一躍スターになった後、沢山の白人が黒人の曲を取り込んでヒットを狙った流れと思われますが、メンフィスのワイルドを売り物にしたエルビに対して、パット・ブーンは東部のおぼっちゃん(実際に開拓時代の英雄ダニエル・ブーンの家系だそうです)と言う、ちょうど反対側の設定のキャラクターで売り込んだようです。実はファッツ・ドミノの「Ain't That A Shame」もパット・ブーンは歌っていて、そこそこのヒットだったようです。
1957年は、アメリカは絶好調の時代に進んでいたと思われていた頃で、日本も戦後十数年少し落ち着いて来て、日本人の多くはアメリカの中産階級のような生活が送る事が理想だった時代です。情報の遅れはだいぶあっても、たぶん1年2年後くらいには、パット・ブーンの「砂に書いたラブレター」は、日本国内でもだいぶポピュラーな曲になっていたでしょう。ファッツ・ドミノはと言うと、その当時の日本では、黒人のポピューラー音楽はほんとに一部のマニアックな人達が愛好する程度で、大半の日本人は聴いた事もないくらいでした。
1961年(昭和36年)から、歌謡曲にニューオリンズ・スタイルのバックメロディと三連打と言うスタイルが、形作られて行きます。何が始めのきっかけだったのか、私は資料を持っていません。なかでもこの2曲のヒットの影響は大きかったと思います。
フランク永井「君恋し」1961(二村定一のリバイバル曲)
湖愁「松島アキラ」1961
1961年2月に亡くなった映画俳優の赤木圭一郎に「流転(オリジナル上原敏)」と言う、ニューオリンズ・スタイルのリバイバル曲があるので、1961年のかなり早い時期か60年の録音かもしれないですが、まあとにかく。
1961年はアメリカではジョン・F・ケネディが大統領に就任した年で、日本の大ヒット曲では、坂本九「上を向いて歩こう」、植木等「スーダラ節」、石原裕次郎&牧村旬子「銀座の恋の物語」、渡辺マリ「東京ドドンパ娘」などがあります。さて続くニューオリンズ・スタイルは少しづつ日本的な味付けがより濃くなって行きます。
橋幸夫「江梨子」1962
1960年に三度笠、又旅ものでデビューした橋幸夫が、少しづつ路線を変えつつあった頃
克美しげる「さすらい」1964
克美しげるは、始めロカビリーや「霧の中のジョニー」「片目のジャック」などアメリカ曲を歌っていましたが、歌謡曲に転向。「さすらい」で大ヒット。後に羽田空港の駐車場に止めていた車に隠していた女性の死体が発覚して逮捕、実刑判決。
この頃になってくるともう疑う人のないくら、このスタイルは日本の曲になって、歌謡曲に浸透して行きます。いくつものリバイバル曲で売った佐川満男の「無情の夢」や、渡辺マリ「東京ドドンパ娘」とミックスしたようなアレンジの北原謙二の「若いふたり」など、他にもいくつもありますが割愛します。
いよいよ本格的な演歌の登場です。
竹越ひろ子「東京流れ者」1965年
鈴木清順監督の日活映画「東京流れ者」を、何人かの歌手が競演しています。やはり竹越ひろ子版が良いようで。もともとは作者不詳の曲ですが、1965年の映画で使われてヒットしました。
最後に、演歌歌謡曲のスタンダード。
矢吹健のデビュー曲「あなたのブルース」は、森進一スタイルと言っていいのか?森進一も「女のためいき」や「おふくろさん」で、ニューオリンズ・スタイルの影響下にあります。
矢吹健「あなたのブルース」1968年
現在では宇多田ヒカルのお母さんと言った方が通りが良さそうな藤圭子の「あなたのブルース」カバー・バージョン。基調は残っていても、どんどん変わって行きます。
藤圭子「あなたのブルース」1970年
日本の心と思っていたのが、実は違うオリジンがかなり影響したりしている事って他にもいろいろあって、歌謡曲ではラテンの影響の流れというのもあります。始めラテン・コーラス・グループが歌謡曲に転向して、その雰囲気を受けついだりとかが多いのですが。だれかその辺り追求しますか?
--
そうそう、これもその影響下と言っても良いでしょう。ぜひ加えたい1曲。
緑川アコ「夢は夜ひらく」1966年
練馬少年鑑別所で歌われていたと言われる曲 園まり、藤圭子等も歌っています。
やはり時間軸で追って行くのがいいかもしれません。始めはジーン・オースティン1931年の「砂に書いたラブレター」です。ジーン・オースティンは20世紀始めから中期のアメリカ人シンガー・ソングライターで、ナット・キングコールやフランク・シナロラとか、ジャズ・ボーカルで歌われている曲がいろいろあります。たしかリンゴ・スターも彼の曲を歌っています。いかにも20世紀始め頃の雰囲気が漂っていますね。
Gene Austin "Love Letters In The Sand" 1931
次はニューオリンズの黒人R&Bシンガー、ファッツ・ドミノ1955年のヒット「Ain't That A Shame」です。こちらはニューオリンズと言うローカルのシンガーが全米で大ヒットした曲で、現代では、ロックン・ロールを作ったひとりと言う評価ですね。
Fats Domino "Ain't That A Shame" 1955
さて次はパット・ブーンが歌う「砂に書いたラブレター」のニューオリンズ・スタイルにアレンジしたリバイバル・バージョンです。この曲は1957年、ビルボード5週1位で3年以上ヒット・チャートに留まっていたそうで、かなりのヒットですね。たぶん聴いた事はあると思います。
pat boone "love letters in the sand"
メンフィスの田舎の白人エルビス・プレスリーが、黒人の曲を歌って一躍スターになった後、沢山の白人が黒人の曲を取り込んでヒットを狙った流れと思われますが、メンフィスのワイルドを売り物にしたエルビに対して、パット・ブーンは東部のおぼっちゃん(実際に開拓時代の英雄ダニエル・ブーンの家系だそうです)と言う、ちょうど反対側の設定のキャラクターで売り込んだようです。実はファッツ・ドミノの「Ain't That A Shame」もパット・ブーンは歌っていて、そこそこのヒットだったようです。
1957年は、アメリカは絶好調の時代に進んでいたと思われていた頃で、日本も戦後十数年少し落ち着いて来て、日本人の多くはアメリカの中産階級のような生活が送る事が理想だった時代です。情報の遅れはだいぶあっても、たぶん1年2年後くらいには、パット・ブーンの「砂に書いたラブレター」は、日本国内でもだいぶポピュラーな曲になっていたでしょう。ファッツ・ドミノはと言うと、その当時の日本では、黒人のポピューラー音楽はほんとに一部のマニアックな人達が愛好する程度で、大半の日本人は聴いた事もないくらいでした。
1961年(昭和36年)から、歌謡曲にニューオリンズ・スタイルのバックメロディと三連打と言うスタイルが、形作られて行きます。何が始めのきっかけだったのか、私は資料を持っていません。なかでもこの2曲のヒットの影響は大きかったと思います。
フランク永井「君恋し」1961(二村定一のリバイバル曲)
湖愁「松島アキラ」1961
1961年2月に亡くなった映画俳優の赤木圭一郎に「流転(オリジナル上原敏)」と言う、ニューオリンズ・スタイルのリバイバル曲があるので、1961年のかなり早い時期か60年の録音かもしれないですが、まあとにかく。
1961年はアメリカではジョン・F・ケネディが大統領に就任した年で、日本の大ヒット曲では、坂本九「上を向いて歩こう」、植木等「スーダラ節」、石原裕次郎&牧村旬子「銀座の恋の物語」、渡辺マリ「東京ドドンパ娘」などがあります。さて続くニューオリンズ・スタイルは少しづつ日本的な味付けがより濃くなって行きます。
橋幸夫「江梨子」1962
1960年に三度笠、又旅ものでデビューした橋幸夫が、少しづつ路線を変えつつあった頃
克美しげる「さすらい」1964
克美しげるは、始めロカビリーや「霧の中のジョニー」「片目のジャック」などアメリカ曲を歌っていましたが、歌謡曲に転向。「さすらい」で大ヒット。後に羽田空港の駐車場に止めていた車に隠していた女性の死体が発覚して逮捕、実刑判決。
この頃になってくるともう疑う人のないくら、このスタイルは日本の曲になって、歌謡曲に浸透して行きます。いくつものリバイバル曲で売った佐川満男の「無情の夢」や、渡辺マリ「東京ドドンパ娘」とミックスしたようなアレンジの北原謙二の「若いふたり」など、他にもいくつもありますが割愛します。
いよいよ本格的な演歌の登場です。
竹越ひろ子「東京流れ者」1965年
鈴木清順監督の日活映画「東京流れ者」を、何人かの歌手が競演しています。やはり竹越ひろ子版が良いようで。もともとは作者不詳の曲ですが、1965年の映画で使われてヒットしました。
最後に、演歌歌謡曲のスタンダード。
矢吹健のデビュー曲「あなたのブルース」は、森進一スタイルと言っていいのか?森進一も「女のためいき」や「おふくろさん」で、ニューオリンズ・スタイルの影響下にあります。
矢吹健「あなたのブルース」1968年
現在では宇多田ヒカルのお母さんと言った方が通りが良さそうな藤圭子の「あなたのブルース」カバー・バージョン。基調は残っていても、どんどん変わって行きます。
藤圭子「あなたのブルース」1970年
日本の心と思っていたのが、実は違うオリジンがかなり影響したりしている事って他にもいろいろあって、歌謡曲ではラテンの影響の流れというのもあります。始めラテン・コーラス・グループが歌謡曲に転向して、その雰囲気を受けついだりとかが多いのですが。だれかその辺り追求しますか?
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そうそう、これもその影響下と言っても良いでしょう。ぜひ加えたい1曲。
緑川アコ「夢は夜ひらく」1966年
練馬少年鑑別所で歌われていたと言われる曲 園まり、藤圭子等も歌っています。
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投稿者 | スレッド |
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gigo | 投稿日時: 2013-5-10 4:48 更新日時: 2013-5-10 4:49 |
登録日: 2004-6-2 居住地: 中央公園西半丁入る北通り下駄履き最上階北窓日照短猫付時折雨漏り環境並地下鉄バス近大通り東3丁目元馬通 投稿数: 4160 |
SCRAPS さん>演歌への道「砂に書いたラブレター」 SCRAPS さん
どうも 緑川アコの「夢は夜ひらく」が オリジナルと言っていいのかわからないけれど 書いたように作者不詳のようでいろりろな人が歌ってますね。 そのまた昔は、ブル−スと言ったら 淡谷のり子が女王と言われたくらいで どこがブルースなのか良くわからない時代が続いていました。 ブル−スはダンス・ステップと言う解釈も、 日本ではかなり幅を利かせてましたからね。 山本リンダとジム・モリソンの関係とか いろいろ日本歌謡史もおもしろいです。 -- 藤圭子「あなたのブルース」リンクが切れちゃってる! ちょっと直します。 |
SCRAPS | 投稿日時: 2013-5-9 23:30 更新日時: 2013-5-9 23:30 |
ターミネーター 登録日: 2007-1-27 居住地: 宮崎市 投稿数: 1424 |
Re: 演歌への道「砂に書いたラブレター」 「夢は夜ひらく」って、これがオリジナルだったんですか。
「圭子の夢は夜ひらく」しか知りませんでした。 そういえば私が小さかった頃、なんとかブルースって言えば、この3連ピアノものばかりだった気がしますね。 それでなんとなく、子供の頃はこういう形式をブルースというんだと思い込んでましたっけ。 3連ブルースものだと、個人的には内山田洋とクール・ファイブの印象が強いです。 |
gigo | 投稿日時: 2013-4-29 22:24 更新日時: 2013-4-29 22:24 |
登録日: 2004-6-2 居住地: 中央公園西半丁入る北通り下駄履き最上階北窓日照短猫付時折雨漏り環境並地下鉄バス近大通り東3丁目元馬通 投稿数: 4160 |
kimuxさん> 演歌への道「砂に書いたラブレター」 kimuxさん
>自分の歌謡コレクション(?)を聞き返してみたらピアノ三連ありました! おー、後で聴きに行ってみます。 どうも |
gigo | 投稿日時: 2013-4-29 22:22 更新日時: 2013-4-29 22:22 |
登録日: 2004-6-2 居住地: 中央公園西半丁入る北通り下駄履き最上階北窓日照短猫付時折雨漏り環境並地下鉄バス近大通り東3丁目元馬通 投稿数: 4160 |
kimuxさん> 演歌への道「砂に書いたラブレター」 kimuxさん
お、さすが「グレイト・フランク永井」 こんなブログがあるんだ。 そう言えば 「フランク永井は米軍キャンプでジャズ歌ってた」とか 昔の雑誌で時々見ましたね。 戦前の昭和から昭和30年代くらいまで、ポピュラー洋楽は なんでも「ジャズ」で通っていた時代ですから 現代で言うジャズとは少し意味合いが違っていますね。 日本で録音された古いSPなんかでも 「なんやらジャズバンド演奏」とかあっても、 ちょっと洋楽っぽいだけ、なんてよくある事ですからね。 あはは、「銃剣道5段の猛者」は、恐れ入りました。 |
kimux | 投稿日時: 2013-4-29 22:13 更新日時: 2013-4-29 22:13 |
登録日: 2004-2-11 居住地: 地球 投稿数: 6943 |
Re: 演歌への道「砂に書いたラブレター」 自分の歌謡コレクション(?)を聞き返してみたらピアノ三連ありました!
心のこり(細川たかし) 長崎は今日も雨だった(内山田洋とクール・ファイブ) ピアノじゃないけど、ギターのアルペジオが三連: 津軽海峡・冬景色(石川さゆり) 北の宿(都はるみ) |
kimux | 投稿日時: 2013-4-29 21:02 更新日時: 2013-4-29 21:02 |
登録日: 2004-2-11 居住地: 地球 投稿数: 6943 |
Re: 演歌への道「砂に書いたラブレター」 君恋しを聴いたんですが、さいしょ、三連符(←ことえりで変換できない)に
気づきませんでした。なるほどー。 こんなブログを発見。 フランク永井あれこれ〜文四郎日記〜フランク永井の故郷から NHK「ラジオ深夜便」フランク永井ジャズ特集曲目 http://frank-m.org/bunsirou/2013/03/post-9.html ジャズに慣れたピアニストも面食らったんですね。 「銃剣道5段の猛者」だから、ってのはよくわからないですが (^^; |
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