gigo さんの日記
2013
4月
15
(月)
06:11
本文
最近スポティフィ(ネットで無料音楽聴き放題サービス、時々コマーシャルあり)で、昔持っていたけれど、今は手元にないようなのを聴くことが多いいんです。先日サザンソールからR&B系の流れで、パーシー・メイフィールド(Percy Mayfield)の「Louisiana」と言うのを聴いていて。パーシー・メイフィールドはルイジアナ出身のリズム&ブルース・シンガーで、レイ・チャールズの大ヒット「Hit the Road Jack」の作者でもあるのですが、
この「Louisiana」と言う曲を聴いたのが、R&B系ミュージシャンのシングルばかり集めた「Jukebox Mambo」と言うLPからで、上のYouTubeのページは、そのシングルを集めて「Jukebox Mambo」と言うタイトルを付けています。一応「ジュークボックス・マンボ」と言うタイトルなので、R&Bのアメリカ黒人ばかりだけれどマンボのようなものもあるし、果たしてマンボと呼べるのかなーと言うのもあるけれど、適当な泥臭さが面白いかもしれないです。
下がそのLPのジャケット「Joe Lutcher - Ojai」で、いかにもマニアには、ムラムラと来そうな写真でしょう。R&B系ミュージシャンのシングルの曲に興味をある人は、上のパーシー・メイフィールドのページから聴いてもらうということで、ジャケの写真だけと言う事でズズーっと飛ばしてもらって。
で、本日の本題の「マンボ」について少し。
「マンボ」最近とんと聞かないですね。50年代の始めにペレス・プラードがいくつか大ヒットを飛ばして世界的に知られるようになったので。やっぱりペレス・プラードの「マンボ No.5」を聞かなきゃ始まらないかな。
Pérez Prado Mambo No.5
キューバ生まれのペレス・プラードは、40年代後半にメキシコに移住してペレス・プラード楽団を結成。マンボのヒットでハリウッド映画などにもいろいろ出ていたみたいですね。テレビの普及していなかった昔は、映画で音楽演奏をエンタテイメントにしていた時代だから、俳優というより劇中のバンド演奏のシーンなどです。
ペレスプラード楽団演奏というのもあるけれど、ダンスがなかなか良いので引っ張ってきました。
ここで踊っているのは、マンボというよりマンボから発展したやはりキューバの「チャチャ」に近いようです。マンボのダンスは、男女が前後にステップを踏んで、その後ポーズを入れるというのが基本で、そのバリエーションを二人がドンドン展開して行くというものです。この「うっマンボ!」の最後のビデオのダンスで見てください。
マンボはダンスのリズムから作られた音楽で、1930年代終わりキューバのカチャオ・ロペス(ベース奏者)が、ダンゾォンと言うアフリカ系キューバン・ダンス・ミュージックのリズムから作った曲が始めだそうです。
マンボの起源と言われるミゲル・ラモン作曲のダンゾォン 作曲は30年代
Las Alturas De Simpson (Simpson Heights) Miguel Ramón
(ラスアルトーラス デ シンプソン)
カチャオ・ロペス(Cachao López)のマンボ「ゴザミ・マンボ・クバノ(私のマンボを楽しんで)」何年ころか不明。
Goza mi mambo Cubano
ダンゾォンの方はキューバの音楽でも、スペイン辺りのダンス曲のような雰囲気だけれど、次の「ゴザミ・マンボ・クバノ」は完全にマンボになっています。
とにかくキューバ音楽マンボが世界的な大ヒットになったので、始めに書いたようにわれもわれもヒットを求めてマンボが作られていますが、ここではローズマリー・クーニーの「マンボ・イタリアーノ」を白人マンボの代表で上げておきます。
Rosemary Clooney - Mambo Italiano 1954年のヒット
これはタイトルにマンボと入っていても、マンボらしくないマンボで、歌謡曲のブルースのような解釈ですね。ローズマリー・クーニーは俳優のジョージ・クーニーの叔母さんで、他にも「Come on-a My House(家へおいでよ)」と言うヒットがあります。この「家へおいでよ」と言うのは日本でもかなりのヒットをしたので、知っている人も多いかもしれないですね。日本では江利ちえみ、美空ひばり、雪村いずみ等が、日本語翻訳で歌っていました。元祖三人娘と言われた人達です。
少し日本の状況を書いておきましょう。まず書いておかなければいけないのは「トニー谷」の「さいざんすマンボ」ですね。トニーは戦後コメディアンの中でも特筆すべき代表的な存在で、私は赤塚不二夫の作ったキャラクター「イヤミ」の原型ではないかと思っています。大きなソロバンをマラカスやグイロ(ギロ)のように使って、山の手言葉と進駐軍相手のカタコト英語を混ぜたような話術のコメディアンです。
トニー谷 + 宮城まり子 「いざんすマンボ」
もう一人は美空ひばりを上げておきます。美空ひばりは「お祭りマンボ」「泣き笑いのマンボ」「チューチューマンボ」など何曲もマンボがありますが「すたこらマンボ」にしましょう。どこか道中ものの雰囲気をもった川田晴久風な浪曲節回しが良いですね。
すたこらマンボ 美空ひばり
ほかにも色々世界中にマンボのような、そうでもなさそうなイカサマ・マンボは沢山あるでしょうが、最後に現代のマンボを。上に書いたダンゾォンからマンボを作ったカチャオ・ロペスの2004年の「マンボ・カンビオ・デ・スイング」
Mambo Cambió de Swing
すばらしい!!
どこかマンボの元になったダンゾォンを感じさせます。やはりラテンはいつもダンスと結びついていて、ダンスが良いですね。たぶんこのダンスもマンボと言うより、すでにサルサなのかもしれないけれど。私たちにはダンスの文化がないので、音楽としてしか聴かない事が多いですネ。現代的にはサルサやラテン・ジャズと言われるジャンルに入ります。このビデオでベースを弾いているおじさんがカチャオ・ロペスです。2008年に亡くなりました。
ではこの辺で、
この「Louisiana」と言う曲を聴いたのが、R&B系ミュージシャンのシングルばかり集めた「Jukebox Mambo」と言うLPからで、上のYouTubeのページは、そのシングルを集めて「Jukebox Mambo」と言うタイトルを付けています。一応「ジュークボックス・マンボ」と言うタイトルなので、R&Bのアメリカ黒人ばかりだけれどマンボのようなものもあるし、果たしてマンボと呼べるのかなーと言うのもあるけれど、適当な泥臭さが面白いかもしれないです。
下がそのLPのジャケット「Joe Lutcher - Ojai」で、いかにもマニアには、ムラムラと来そうな写真でしょう。R&B系ミュージシャンのシングルの曲に興味をある人は、上のパーシー・メイフィールドのページから聴いてもらうということで、ジャケの写真だけと言う事でズズーっと飛ばしてもらって。
で、本日の本題の「マンボ」について少し。
「マンボ」最近とんと聞かないですね。50年代の始めにペレス・プラードがいくつか大ヒットを飛ばして世界的に知られるようになったので。やっぱりペレス・プラードの「マンボ No.5」を聞かなきゃ始まらないかな。
Pérez Prado Mambo No.5
キューバ生まれのペレス・プラードは、40年代後半にメキシコに移住してペレス・プラード楽団を結成。マンボのヒットでハリウッド映画などにもいろいろ出ていたみたいですね。テレビの普及していなかった昔は、映画で音楽演奏をエンタテイメントにしていた時代だから、俳優というより劇中のバンド演奏のシーンなどです。
ペレスプラード楽団演奏というのもあるけれど、ダンスがなかなか良いので引っ張ってきました。
ここで踊っているのは、マンボというよりマンボから発展したやはりキューバの「チャチャ」に近いようです。マンボのダンスは、男女が前後にステップを踏んで、その後ポーズを入れるというのが基本で、そのバリエーションを二人がドンドン展開して行くというものです。この「うっマンボ!」の最後のビデオのダンスで見てください。
マンボはダンスのリズムから作られた音楽で、1930年代終わりキューバのカチャオ・ロペス(ベース奏者)が、ダンゾォンと言うアフリカ系キューバン・ダンス・ミュージックのリズムから作った曲が始めだそうです。
マンボの起源と言われるミゲル・ラモン作曲のダンゾォン 作曲は30年代
Las Alturas De Simpson (Simpson Heights) Miguel Ramón
(ラスアルトーラス デ シンプソン)
カチャオ・ロペス(Cachao López)のマンボ「ゴザミ・マンボ・クバノ(私のマンボを楽しんで)」何年ころか不明。
Goza mi mambo Cubano
ダンゾォンの方はキューバの音楽でも、スペイン辺りのダンス曲のような雰囲気だけれど、次の「ゴザミ・マンボ・クバノ」は完全にマンボになっています。
とにかくキューバ音楽マンボが世界的な大ヒットになったので、始めに書いたようにわれもわれもヒットを求めてマンボが作られていますが、ここではローズマリー・クーニーの「マンボ・イタリアーノ」を白人マンボの代表で上げておきます。
Rosemary Clooney - Mambo Italiano 1954年のヒット
これはタイトルにマンボと入っていても、マンボらしくないマンボで、歌謡曲のブルースのような解釈ですね。ローズマリー・クーニーは俳優のジョージ・クーニーの叔母さんで、他にも「Come on-a My House(家へおいでよ)」と言うヒットがあります。この「家へおいでよ」と言うのは日本でもかなりのヒットをしたので、知っている人も多いかもしれないですね。日本では江利ちえみ、美空ひばり、雪村いずみ等が、日本語翻訳で歌っていました。元祖三人娘と言われた人達です。
少し日本の状況を書いておきましょう。まず書いておかなければいけないのは「トニー谷」の「さいざんすマンボ」ですね。トニーは戦後コメディアンの中でも特筆すべき代表的な存在で、私は赤塚不二夫の作ったキャラクター「イヤミ」の原型ではないかと思っています。大きなソロバンをマラカスやグイロ(ギロ)のように使って、山の手言葉と進駐軍相手のカタコト英語を混ぜたような話術のコメディアンです。
トニー谷 + 宮城まり子 「いざんすマンボ」
もう一人は美空ひばりを上げておきます。美空ひばりは「お祭りマンボ」「泣き笑いのマンボ」「チューチューマンボ」など何曲もマンボがありますが「すたこらマンボ」にしましょう。どこか道中ものの雰囲気をもった川田晴久風な浪曲節回しが良いですね。
すたこらマンボ 美空ひばり
ほかにも色々世界中にマンボのような、そうでもなさそうなイカサマ・マンボは沢山あるでしょうが、最後に現代のマンボを。上に書いたダンゾォンからマンボを作ったカチャオ・ロペスの2004年の「マンボ・カンビオ・デ・スイング」
Mambo Cambió de Swing
すばらしい!!
どこかマンボの元になったダンゾォンを感じさせます。やはりラテンはいつもダンスと結びついていて、ダンスが良いですね。たぶんこのダンスもマンボと言うより、すでにサルサなのかもしれないけれど。私たちにはダンスの文化がないので、音楽としてしか聴かない事が多いですネ。現代的にはサルサやラテン・ジャズと言われるジャンルに入ります。このビデオでベースを弾いているおじさんがカチャオ・ロペスです。2008年に亡くなりました。
ではこの辺で、
(閲覧:6146) | (好きボタンポチっと数:)
投稿者 | スレッド |
---|---|
gigo | 投稿日時: 2013-4-25 6:48 更新日時: 2013-4-25 6:50 |
登録日: 2004-6-2 居住地: 中央公園西半丁入る北通り下駄履き最上階北窓日照短猫付時折雨漏り環境並地下鉄バス近大通り東3丁目元馬通 投稿数: 4160 |
potman2 さん> うっ マンボ! potman2 さん
お忙しい処食べ過ぎにご注意ください。 何か消化に良い、大根おろしのような曲でも聴いてくださいね。 「エノケンの落語マンボ」ってた ぶん映画「落語長屋?」か何かの最後の雰囲気ですね その後の江利チエミの「銀座マンボ」も良かったです。 あのページにあった「やりくりアパート」を開いてみたら 番組の始めのテーマソングが「マンボ」じゃないですか たぶん1960年くらいですね。 実はニューヨークのマンボキングを割愛してしまったので potman2さんに怒られるのではと思っていました。 いやボリューム削るのケッコウ大変で 宮城まり子も完全ワンパラグラフ割愛しました。 最後の曲でボンゴ叩いてるの たぶん俳優のアンディ・ガルシアだと思うのですが。 |
アバター
カテゴリー
アクセス数
144758 / 日記全体
最近のコメント
- SCRAPS さん>演歌への道「砂に書い gigo [05-10 04:48]
- Re: 演歌への道「砂に書いたラブレター SCRAPS [05-09 23:30]
- kimuxさん> 演歌への道「砂に書い gigo [04-29 22:24]
- kimuxさん> 演歌への道「砂に書いた gigo [04-29 22:22]
- Re: 演歌への道「砂に書いたラブレター kimux [04-29 22:13]
- Re: 演歌への道「砂に書いたラブレター kimux [04-29 21:02]
- potman2 さん> うっ マンボ! gigo [04-25 06:48]