11:Re: kipple さん追悼 yuuichik 03/29 00:11 さきほどGBUCのトピック一覧の「kippleさん追悼」を見て驚きました。 どこか別の場で詳しいことが伝わっているのか分かりませんが、 私もここに追悼文を書かせていただきます。 kippleさんとの出会いは満月の夜にはねでした。 GBUCでの発表2曲目(2005年10月17日)のこの作品は、 自身が10年前に録音したギター弾き語りの歌もの。 最近のkippleさんの作風とは違うかも知れませんが、 私は今もこれがもっとも好きな曲です。 iTunesの「お気に入り」フォルダの中にも入れている曲。 当時GBUC依存症のように毎日覗き関わっていた私は、 この曲発表直後に聴いて、いっぺんにその歌世界に惹かれました。 翌日にはすぐコメントを書き、kippleさんとやりとりをさせていただきました。 実話ベースで、そこから昇華させて、つむぎだされた詩。 それをさらを頭の中でメロディが浮かんでくるまでじっと我慢する。 「熟成」とkippleさんは言ってました。 そうして生み出された私的な世界は、 また別の私的な世界へと届けられて、大切な曲となる。 ちょうど同じ年の暮れに、私も手術のために入院していた病院の屋上で、 ひなたぼっこをしながらこの曲をiPodで聴いていた風景を思い出します。 「愛聴しています」と、何かの折りにメッセージを送ったら、 「うれしいです」と言ってくれたことも思い出します。 それももう4、5年前のことなのですね。 あるいはまだ4.5年しか経っていないというべきか。 実際にお会いしたのは一度だけ。 2007年4月14日の第2回ガレフェスで。 それもほんの少し挨拶した程度。 もっと交流のある方々からすると、私のそれはほんの少しだったのでしょう。 実際今日この告知を知るまでは、忘れていたし。 それでもこうしてまっさきに浮かんだこの「満月の夜にはね」を、 今もこうして聴きながらこの文を書いていると、 交流の深さではなく、彼の作品に触れることが出来たということが とても貴重なことだったんだと思う。 多くの音楽を創る人たち、 多くの音楽を愛する人たち、 その中から偶然に出会った一曲を通して、 その人が生きている間、 その人が生き終わった先、 それを聴く人々の中で永遠に生き続けていく。 私が大好きなこの曲の中で、 kippleさんは何度も再生されていく。 少しの思い出も、少しなだけコンパクトに印象的に思い出されるのでしょう。 それで許して下さいね。 どうぞ安らかに。 合掌 『最後の夜なんてないんだな 信じてるんだ 帰ってくるさ 月に向かって吠えてるわけじゃない 欠けて消える月も も一度満ちてくる 満月の夜にはね 何かが起きるんだ 今度はもっと はっきりした月夜 言えない 消えない 見えない 想いが 悲しい Lunacy 虚しい とても 「気紛れ 気休めの キスじゃない ことは 分かってるわよね また会えるわよね」』 (「満月の夜にはね」の詩より一部引用) |